ホームスクーリングの先人コルファックス家

皆様こんにちは。理事の岡田です。

近代ホームスクーリングの先人、「楽園のつらい日々」の出版により、全米に衝撃を与えたホームスクラー、コルファックス家。アメリカでホームスクール運動が高まる切掛けになったともいえるこのノンフィクション本ですが、彼らのホームスクールは実際にはどのようなものだったのでしょう。

彼らが、無自覚にホームスクールを始めた経緯、それは「思想弾圧」でした。時代は1970年代初頭、ニクソン大統領のウォーターゲート事件が騒がれ出した頃のことです。当時はまだ、ベトナム戦争中ですが、米国内での公民権運動、反戦運動の大衆運動はすでに退潮していていました。

当時保守的な地域と言われていた中西部のセントルイス、そこにありながらも比較的進歩的と云われていた大学がありました。コルファックス家の父親のデビットはその大学に社会学者として勤務していました。母親は国語教師。しかし、当時は冷戦時代、デビットの専門分野が非スターリン系のジョルジュ・ルカーチに対する研究だった事、民権運動、反戦運動の活動していたことで大学に勤めている事が出来なくなりました。

さらに自宅と子供が地元の「ミニットマン」と称する地元の反共テロ組織の標的となり、一家は町に住むこともできなくなったのです。現在の日本と違い、当時のアメリカで「平和運動」をすることはまさに命がけでした。

彼らは一旦アフリカ大陸に渡ろうとしますが、受け入れ先の大学のあるウガンダでは、後に独裁者と呼ばれたアミン大統領が台頭していて、粛清の嵐が吹き荒れていたため断念します。その後、北アフリカを巡りながら、最終的に帰国し、サンフランシスコの北200kmの20数ヘクタールの山奥の土地を購入し、開拓農民を志すことになりました。

開拓生活に入ってからの一家は倹約に次ぐ倹約でした。作業道具の購入も最小限度に抑えて家族総出での重労働生活をしました。重機を入れないことは自然環境に配慮しての事でもありました。その上で、雑木の生い茂る傾斜地での道路敷設、敷地ならしをして自宅の建設などを全てスコップ、つるはし、チェーンソーなどの道具のみでやり遂げたのです。作業に関しては、まず書物で知識を得て、子どもたちを含めた家族全員で意見を出し合って計画を立てました。それで全員が納得して分担作業するのです。しかしあまりにも過酷な労働生活であったためにデビットはついに病に倒れます。
このような中で、小中高と学校に通わなかった子供たちはどのように学んでいたのでしょうか。コルファックス家の実子と養子を含めた4人の子どもは、自分の身の回りの自然を知りたいという欲求から、労働を通じて興味を広げていきアンスクーリングで学習していきました。長男がまず先に学習の道筋をつけて、次男以下は、彼がつけた道筋に沿って合理的に学んでいくという流れでした。

社会性については、子供は年齢差が離れていないために兄弟間に社会ができていました。また4Hクラブ(よりよい農村、農業を創るために活動している組織。)に積極的に参加して、自分で育てた家畜を品評会に出したり、会報に投稿したり、様々な活動をしていたのです。

このようにしてコルファックス夫妻は、米国の満足な公教育施設もない田舎の地で子供たちを自らの手で教育し労働を教え育て上げました。その後、内の3人の子がのちにハーバード大学に進学したことによって、彼ら一家は一躍、有名なホームスクーラーとして注目されるようになったのです。

楽園のつらい日々 単行本 – 1997/1デビッド コルファックス (著),‎ ミッキ コルファックス (著),‎ David Colfax (原著),‎ Micki Colfax (原著),‎ 森実 真弓 (翻訳) 農山漁村文化協会 (1997/01)

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