ホームスクールを選ぶには、それぞれのいきさつや理由がある。各ホームスクーラー家庭に焦点を当てていく、「私がホームスクールを選ぶ理由」シリーズ。シリーズ企画サンプルは、日本ホームスクール支援協会の理事でもあり、プレホームスクーラーである息子さんを持つ割田 真優さんにお話を伺った。
発達障がいと診断されて
真優さんの息子さんである慧吾くんに発達障がいの傾向があることが分かったのは二歳の頃。言葉の遅れをきっかけに、発達クリニックを受診したところ、自閉症スペクトラム症の傾向があることが分かった。すぐに療育に通い始めるが、できないことばかりを指摘される日々に母親の真優さんは追い詰められていく。
「療育の帰りにこの子と線路に飛び込みたいと思うぐらい、未来がないような気持ちなりました。追い詰められていく私を見て、家族が心配し、一度療育を辞めることになりました。」
療育を辞めてからは、自宅での教育と慧吾君が興味を持ちそうな習い事に力を入れてきた。
「この子には無理だという気持ちを捨てよう。障がいを理由に諦めず、いろいろなことに挑戦させようと心に決めました。」
と、母親の真優さんは言う。
リトミックや英語教室、公文式、バレエなどを成長に合わせて取り入れてきた。
「生活の中で息子が好きなことを見つけて、習い事を考えていきました。音に合わせて体を動かすことが好きだったので、小さい頃はリトミックに通いました。
習い事を選ぶ際に一番気をつけていたのは、先生の受け止めです。体験時には必ず息子の状況を伝え、肯定的に受け止めてくれる先生を選んできました。その人が自分をポジティブに見てくれているかって小さな子にも伝わると思うんですね。そこはすごく重要視しました。
あとは、子どもが習い事の中で何につまづいているのかを観察して、お家で少し練習したりもしましたね。息子にはとにかく成功体験を積ませたかったです。」
習い事と同時に家庭での教育も大切にしてきた割田家。
「三歳ぐらいの時に、息子がすごく記憶力がいいことに気がつきました。視覚情報にすごく強いというか。ジグソーパズルなんかも得意で色々なパズルを揃えて、毎朝取り組みましたね。三歳の頃には150ピースほどを完成させることができました。横で見ていて挫けそうになると、こっそり分かりやすい位置にピースを動かしたりして、完成した時の達成感を味わえるようにしていました。言葉で表現するのは苦手だったけど、小さな手をパチパチ叩いて完成を喜んでいたのを覚えています。
絵本の読み聞かせも1万冊を目標に図書館に通い、色々な絵本を借りてきました。絵本の中で興味を持ったものはなるべく実物に触れる機会を作ってきました。例えばおかしなおかしという絵本が大好きだったのですが、そこに出てくるお菓子を順番におやつにだしたりしてましたね。」
ホームスクールとの出会い
この三歳頃の経験が後にホームスクールを考えるきっかけになったと母親の真優さんは言う。
「家庭を中心に息子に合う環境設定をしてあげると、息子は目に見えて成長していきました。親として私も少しづつ自信をつけていくことができました。
環境を整えてあげることができればこの子が持って生まれてきた才能は伸ばすことができるのではという思いが生まれたのもこの頃です。」
四歳を迎える年に、発達障害に理解のある幼稚園を見つけ入園した慧吾君。入園と同時に母親の真優さんは就学を見据えて情報収集を始める。
「公立、私立、インナーナショナルあらゆる選択肢を検討しました。でも、どれもピンときませんでした。
ある時、インターネットでホームスクールという言葉に出会ったんです。それで調べていくうちに、息子にピッタリな教育方法だと思いました。日本ホームスクール支援協会が運営する保護者コミュニティに参加して情報を集めました。海外のホームスクール家庭のセミナーに参加したこともありましたね。知れば知るほど息子の為にある教育だと思いましたね。」
ホームスクールを決断して
一方でホームスクールを決断するには長い時間がかかったという。
「夫にこんな教育方法があると伝えた時は一言、『いいんじゃない。』と受け止めてくれました。夫婦間で意見に相違がなかったことはラッキーでした。
一方でまだ日本では一般的ではない道を歩ませることに葛藤がなかったわけではありません。社会性をどう育んでいけばいいのかなとか、将来はどうなってしまうのうかなとか、進路は将来はと不安は払拭できませんでした。途中で理解のある私立の小学校を見つけて受験させることも考えましたね。
でも、言語化することが苦手な息子には試験の内容が難しくて断念しました。自由保育の幼稚園だったので、伸び伸びと過ごしましたが、年長になり集団活動の内容が高度になってくると徐々に参加が難しくなる場面も出てきました。少人数のグループだと比較的参加できるのですが、大人数の集団になってくると、先生の言っていることが理解できなかったり、意識を向けることが難しいようでした。」
また、東京都では慧吾君のように知的障害はない発達障害児は普通級に在籍することになる。このことがホームスクールを決断する一番の理由となったと真優さんは語る。
「幼稚園では補佐の先生から適時サポートを受けることができましたが、小学校では一人でやっていかなくてはいけません。遊びが勉強になることも大きな違いだと感じました。息子のように知的には問題がないが、サポート無しでは難しい子どもは丁度支援からこぼれ落ちてしまうなと思いました。
今までの家庭教育の中で個別に対応すれば学習面でも十分に能力を伸ばしていけることはわかっていました。だから、集団教育の中で自信をなくしてしまうより、ホームスクールで息子にあう形で学ばせていくことがベストだと思いました。それは息子の権利でもあると思ったんです。
うまく自分の意思を表明できない息子ですが、何度も学校の授業風景を見せて、お家で勉強するのとどっちがいいか尋ねましたね。本人も大人数だと自分が上手くやれないことを自覚しているようでした。ホームスクール支援協会のコミュニティで出会ったご家庭の存在も私の背中を押しました。」
ホームスクールの実際は
実際のホームスクール生活は、大変なことも多いと言う。
「学習面のサポートは夫婦で分担しています。夫は仕事に行く前に2時間ほど勉強を見てくれます。午前中に教科学習を終え、午前は絵を書いたり、読書したり息子がやりたいことをやる時間です。午後は習い事に行きます。簡単な夕飯作りなどもお願いしています。
夫のサポートとお願いできることは外部に委託してるからなんとかやれている部分はありますね。体力的にきつい時もあります。一方で子どもと毎日いてストレスを感じるかいうと、実はあまり感じません。
毎日が息子の成長にとって重要な1日だと思って、なるべく楽しく過ごしています。イライラすることもありますけどね。」
ホームスクールの未来
「子育て全般に言えることですが、子どもは色々な人の力を借りて成長するんだと最近は強く思います。
去年から始めたクラシックバレエが息子は大好きで、週2でレッスンに通っているんですが、先生は本当に理解のある方で凄く息子を褒めてくださいます。だから息子は練習も頑張るし、先生の話もしっかりと聞くようになり、最近ではお手本になるぐらい体が柔らかくなりました。
公文の先生もいつも温かく見守ってくださり、本人の努力もあり教室で一番になることができました。
いつも『できない』ことばかりを指摘されてきた息子が認められる環境があることに大きな意義があり、本人も自信をつけてきた様子があります。多くの方のサポートがあって今の息子があるんだと思います。
親ができることは限られていますが、幼い頃は特にこの環境設定や人との出会いをコーディネートしてあげることが大切だと思います。一人ひとりに合った環境で学び、『自分はできる。』という自信を持つことができれば、障害を乗り越え、生きていく力をつけることができると信じています。その過程にホームスクールがあります。」
日本におけるホームスクールの課題についても最後に伺った。
「まずは誰もがホームスクールを教育の選択肢として選ぶことができる社会になってほしいと思います。我が家の場合は私が在宅ワークで比較的時間に余裕がある勤務形態なので、ホームスクールとの両立が可能です。
共働きだったり、保護者の勤務形態によってはホームスクールを選択することは難しいと思います。また、ホームスクーラー家庭がリアルで交流できる場も欲しいと思っています。ホームスクーラーの子どもたちが社会で活躍し、もっとホームスクールの概念が広まっていくことを願っています。」