インターネット教育革命②「日本でも望まれるホームスクールの波」

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教育とは、コンクリートの校舎で行われるもの。

何者かによって決められた時間割に沿って教室の中の椅子にすわり、机の上に教科書を広げ、権威ある教師の話を聞き、黒板に書かれたことを書き写し、ある時期になると必ず点数評価によるテストが待ち受けている。
ある年代以上の人は多かれ少なかれ「教育」に関してそんなイメージを持っている。
1850年代にイギリスで誕生した学校制度は工業化社会の労働者養成に大変な貢献をしてきた。
悪く言う人は教育とは国や行政が企画し、管理し、国民は教育の機会を「配給を受ける」かのように限られた選択肢のなかで選ばざるを得ない。そう言う。

教育とは制度から生まれ、制度によって縛られる、と言われる。
一面の真理である。これまで制度によって国民は教育の機会を得ることができ、少なくても義務教育段階で言えば、子供たちはそれ以外の何かにわずらわされることなく、勉強に専念できたのである。
明治以前のように、親が子どもに教育の機会を与えず、労働力として使っているのと違い、親は子供たちに学習する機会を保証する「義務」を有するわけである。
教育の機会を提供する側の論理で言えば、国や行政が安定していて安全で標準化された教育の機会を提供するから親達もそれに協力する姿勢を求められてきた。
それがわが国の教育をめぐる風景だった。

しかしようやく風向きが変わってきたようだ。
その一つがホームスクールの波である。
学校に行かない選択が堂々とできるようになっただけでなく、旧来の学校よりもより学習を保証してくれるものとして世界中で広がっている。
それは子供たちを教育の機会を受ける対象としてではなく、学習する主役たる主体としてみる考え方である。
学校に依存しすぎていた考え方を修正する考え方なのである。
個別化し、学校が用意したカリキュラム、教師、では学習ニーズが満足されない子供たちの気持ちを汲み取り、聖域化していた「子供たちの学習内容」に親達がコミットしていこうという考え方である。
パソコンがマニアの間で普及し、瞬く間に全世界を覆ったように、いまホームスクールの波は少し変わった価値観の人たち、学校嫌いの人たちだけでなく、高い意識の人たち、あるいはごくごく普通のどこにでもありそうな家族の間にも広がりつつある。

 

 


「インターネット教育革命」(日野公三 著、PHP研究所刊 1999年)より

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