1999年1月24日からアメリカ各地をまわって、アメリカのホームスクール文化を支えるキーマンに会ってきた。
まず最初はGrowing without Schoolingというマガジンを発行しているHoltアソシエーツ社長のパトリック・ファレンガ氏。
この雑誌はいまや5、6誌を数えるアメリカのホームスクール関連のマガジンの中で最も老舗だ。
会社はボストンにあり、長年にわたり全米のホームスクーラーの学習活動を支え、支援してきた。
行政当局からの圧迫、無視、無心とも戦ってきたのである。
いまや全学齢期(小中高校)人口の4.5%と言われるほど隆盛をきわめているアメリカのホームスクーラーの家族の心の支え、ともいうべき雑誌である。
ホームスクールを始めようという家族がまず手にするものとも言われている。
インターネット上の学校、eスクールができるずっとずっと前、アメリカの母親、父親たちが我が子が学校に行かない選択を支援し、家、という単位を学習環境としてとらえ、我が子と毎日向かい合っていく中で何を精神的な支えにしていくか、というと同じホームスクーラーの家族の存在であった。
自分達が学校に行かない、行けない、といういわゆるドロップアウト〟した意識から自分達は学校に行かない選択肢を積極的に選んだのだ、という〝スピンオフ〟の意識になるまでにアメリカでも年数を要している。
Growing without Schooling誌では、全米のホームスクーラーの横のつながりを重視している。
驚くことにホームスクーラーの家族リストが掲載され、ホストファミリーとして同じホームスクーラーの宿泊場所として我が家を提供することを了解している。
連絡先も掲載されている。
そういう意味では草の根的に自分達が自分達を支えていると言える。
もともと移民の国アメリカでは、教育は家の中で行われ、たまに教会が学校になったり、親たちがお金を出し合い「タウンスクール」をつくったりしてきた。
キリスト教をベースにした精神的素養、教養も重視された。
もちろん多民族、多宗教の国であるため、それぞれの宗教的信念に支えられた教育は親がするものであり、住環境の地域のコミュニティみんなで支えあってするものだ、という意識が強かったのである。
しかし、アメリカでも教育は〝公〟が引き受けるもの、つまり公教育が主流になると、ホームスクールは一部の宗教的な理由を持つ家庭や、家庭教師を雇えるくらいの裕福な家庭を除くと下火になってきた。
「インターネット教育革命」(日野公三 著、PHP研究所刊 1999年)より