うちの子がダラダラしているのが心配!?ホームスクールのあるある対策

ホームスクール100の質問
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こんにちは。協会の佐々木です。

現在HoSAでは認定NPO化に向けた準備を進めています。新年度には会費制度がなくなり、広くあまねくホームスクールの普及促進活動ができるかなと思っていますので、頭の片隅にでも置いていただければ幸いです。

 


さて、今日のテーマは、「ダラダラとの向き合い方」です。

家で学習することの多いホームスクーラーですが、「家で子どもが毎日ダラダラ過ごしている!どうしよう!」なんていう親の不安の声はしばしば聞こえてきます。

子どもが1日中ゲームや動画に明け暮れて、ダラダラ過ごす姿って親ならだれしもなんとなく不安になるものですよね。

今回は、不登校などによる「ダラダラ」との向き合い方について書いていきたいと思います。

ダラダラすることは悪いことだ。というのは日本独自の感覚

時間は限られているのだから一日一日を大切にしてほしい!

これって子どもの将来や心身の健康を心配する親にとっては、当然の感覚ですね。

しかし、ダラダラ過ごすことがダメなこと、というのは実はあまり理由のない精神論であることをまず確認しましょう。

頑張ることはよいことなのですが、休息も同等に必要というのが、グローバルスタンダードです。

常に努力して向上心を持ち続けなければいけない、というのは日本社会で特に強くみられる風習と感じます。

私の個人体験としては、社会人で会社で働き始めたときはスケジュールにいかに会議を入れて、週末も研修やセミナーにたくさん参加することが評価の対象でしたし、残業をする人が頑張っている人、というように評価されていました。

「忙しくて有給なんて取れない!」という人が周りからも評価されるような環境が、日本には残っていますね。

子どもたちにおいても同じようなことが暗黙の了解として求められています。少しぐらい体調が悪くても出席しなさい、今日は勉強が早く終わったのだから、もっと頑張りなさい、とか、ですね。

ただですね、頑張るということは無限に求めることができます。

気を付けないと大人は期待からより多くのものを求めがちになります。

ホームスクールでも子どもたちと大人の間にあるストレスの原因はその辺に多いのではないでしょうか?

意味のないダラダラは存在しない。

毎日、一分一秒を意味のある活動にしなければいけないのでしょうか?

ここでいう、「意味のある活動」というのは、つまり大人にとって成果として見える「頑張り」を指します。

例えば問題集の枚数だったり、レポートだったり、何かしら客観的に見て「すごいね」と言われそうな、いわゆるインスタ映えしそうなものではありませんか?

ただ、断言しておきますが、ホームスクールガチ勢であっても正直、毎日映えることはできません。

もし、お子さんが「意味のある活動」ができてない!と思うのであれば、一回深呼吸をして、「意味のある活動とは?」と再定義してみることをお勧めします。

ホームスクールを含め、教育には終わりはありません。人間はずっと学び続ける生き物です。

この「学ぶ」という行為を、「終わりのない旅」ととらえると、ずっと移動し続けることって不可能ですよね。移動していれば疲れますし、何か気に入った場所で長期滞在することもあります。

では、そういった旅の途中でどこかに長期滞在することや休憩をとることって、「意味のないこと」なのでしょうか?

僕は違うと思うんです。

むしろどこかにゴールすることだけを目指し、途中の楽しみや感動を全部端折って進むことは、旅全体を全然楽しめていないといえます。

ホームスクールで、ダラダラすることとは、つまり休憩や今楽しいことの追求を指します。

ダラダラすることも、過程であり、きちんと「意味があること」だといえるのではないでしょうか?

本質的に、ダラダラは続かない

ただ、親としては、毎日毎日、来る日も来る日もYouTubeとゲームの繰り返しだと不安になることも確かです。

ダラダラには意味がある!と言われて脳内では納得していても、瞬間的な不安から「ゲームばっかりしてないで、少しは勉強しなさい!」と叫びたくなります。わかります。僕がそうでした。

しかしですね、ここで上手く耐えられるかどうかが親力になってくるのかもしれないと、振り返ってみてつくづく思います。

そもそも、なぜ人がダラダラするのかを考えてみましょう。

ダラダラしてしまうのは、単純に疲れているからです。それに尽きます。

人間は休息が必要ですので、心や体が疲れているとダラダラしてしまいます。治療と同じです。

では、この治療は永久に続くのでしょうか?実はそんなことはないのではないかと思います。

例えば、病気や骨折などで入院しているケースを想定してみましょう。

最初は病状がよくないのでゆっくり休むことが必要です。

しかし、回復してきたらどうでしょうか?一刻も早く退院して何かしたいという気持ちになるのではないでしょうか?

子どものダラダラ期はこのような治療期間なのかもしれないと思います。

以前、デスクーリングという話をホームスクールジャパンの記事で行いました。そこでは、学校生活、社会生活で疲れた人間は、創造性や能動性を取り戻すために、そこで耐えていた時間の2倍~3倍の休息が必要になる。ということを書きました。

疲れ切った挙句に不登校、ホームスクール化した生徒を見ると、初めからホームスクールという選択肢があったという子に比べて能動性が低く、より長期間「ダラダラしがち」であるように感じます。

ホームスクールで多くを求めすぎて、ダラダラ期に入ってしまい、「何もしないなら学校に行きなさい!」という結末になる家庭もあります。

子どもたちには休息が必要です。

ダラダラは必要なプロセスなのです。

「何かをしたい」という意欲が生まれるまでは十分に休ませてあげることが、プラスであると考えてみるのはどうでしょうか。

休息が強力なバネになる。

大人も子どもも、人間の生産性には波があります。

大きく落ち込んだと思えば、それが強力なバネように後の高い生産性につながったりします。

ずっと不登校だった子が、ある日を境にやる気を出してこれまでサボっていた勉強を一気に進めたなんていうことも、珍しくありません。僕の身近な事象でも、3,4年生までは掛け算やひらがななども怪しかった子が6年生で同学年の子以上の学習進度まで伸びるなんて言うことだってあります。

理由は何でしょうか?

ひとえに、ちゃんとダラダラしたから。だと思います。

ダラダラさせてもらえないと、よりダラダラする法則

ダラダラしてほしくない、と大人が圧力をかけると、子どもはよりダラダラしたくなります。

これは、ホームスクールの中で僕が気付いた法則です。説明します。

常に頑張らせていたり、「もっともっと」と大人が燃料を注ぎまくると、子どもは休憩が取れません。エネルギーや上記の生産性をチャージする時間がないので、活動のパフォーマンスが徐々に低くなります。へとへとなのに走らされているような状態です。

でも、大人は気づきません。「パフォーマンスが低下している!君はもっとできる!もっと頑張れ!」といって、なんだかよくわからない子どもは「頑張らなきゃ!」とさらに疲弊していきます。結果的に、どこかでプツンと切れてしまい、強制シャットダウン。再起動には休息のツケが周り、膨大な時間がかかったりします。

矛盾するようですが、実は常日頃からダラダラする人のほうが疲れをうまくコントロールできるため、発想力や創造性など様々な側面における爆発力に富んでいる時間も多くなると思います。

反対に常に切羽詰まっている、頑張っている(頑張らされている)人は休息の時間がないので、思ったようなパフォーマンスが出しづらく、それによって自分を「もっと頑張れ!」と鼓舞することでさらにストレスを感じるようになってしまいます。

結果的に「ダラダラしてはいけない」と思っている人のほうが、自己嫌悪に陥りやすく、ストレス解消のため、と言ってルールが守れなくなったり、わがままになったり、自分に甘くなったりします。

もし「うちの子は自分に甘すぎる!」と感じているのなら、厳しくするのではなく、休息が必要なだけかもしれません。

いつでも休んで良い雰囲気を作る。でも、ゴールはいつも確認しておく。

最初の話に戻りますが、「休むことが悪いこと」というのは、われわれ日本人に染みついている戦後の悪しき習慣です。べつに休んでいいのです。子どもも大人も、そんな頑張る必要なんかないのです。むしろ休むことで、生産性は確実に上がります。

うつ病の人にも早期回復する方と回復に時間のかかる晩期型がいるそうです。

晩期型は休息をとりつつも、「頑張らなければいけない。休んでいるのは特別なことなんだ。」と考えてしまい、休息中も後ろめたい気持ち=ストレスを感じ続けてしまいます。

結果的に、高パフォーマンスを発揮できる状態まで回復するためには膨大な時間がかかります。

早期回復型は「疲れているのだから休むのは当たり前。やりたくなったらやろう。」と考えている傾向があるようです。

つまり、厳しい考えをせず、休む時はちゃんと休む。を徹底しているかどうかが回復のスピードに影響します。

ホームスクールにおいても、大人も子どもも、自分を責めるような環境を作らないことです。

極論、大人は「やりたくなったらやりなさい。」とだけ言うだけでOKです。

ただし、一つだけ注意です。子どもときちんと目標を共有しておきましょう。将来どんなことをしたいのか、それに対して今からどんなことができそうか?

そういったことを日常的に話し合っておくことで、子どもたちの頭の中にはきちんとした「ゴール設定」ができます。チャージが終わった時に、戻ってこれるメインの道を共有しておけば迷いにくくなります。ただし、そこに戻ってくるタイミングは子どもが決めればいいと思います。それは、彼らの人生なので。

現代社会では休息にもっと目を向けよう

いかがでしたでしょうか?

ダラダラとはうまく付き合えそうですか?僕の個人体験として、ホームスクールをしていた時は、子どもにもっともっとと期待をかけすぎてしまっていたように感じます。

子どものパフォーマンスが落ちているときは、「頑張りが足りない」と考えていた時期もありました。しかし、自分自身が休息をとるようになってからは「チャージ」の必要性に気づかされましたし、また、「子どもの人生は子どものもので、最終的な責任は子ども自身にある」というある種の気持ち的な突き放しをしたことで、気持ちが楽になりました。もちろん、子どもには、「アドバイスはするけど、どうするかは君が決めていいよ」と常に言い聞かせています。

大人も子どもも忙しすぎますね。少し、余裕をもって、楽しく、のびのびと子育てを楽しみたいものです。

 

では!皆さんもハッピーなホームスクールライフを!

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