今日はこの夏、一度だけ会ったある少年のお話。
その日は「自由研究みんなでやろう!」という企画。
いろんなものを浮かべる実験を通して、ものが浮かぶメカニズムを解き明かすという内容。実験のセッションが和気あいあいと終わり、 それをまとめる段階になったとき、 奥の机から声がした。
見てみると、さっきまで上機嫌で実験していた小学校の2年生の男の子がペンを強く握りしめ、 実験をまとめるシートに向かい、嗚咽に近いぐらいの強さで泣いていた。
「どうした?」 と聞いてみると 「ここの、わくの中に書こうと思ったのに・・・はみでちゃったぁ」 と大号泣。
表から文字がはみ出していて、 それが悔しくて泣いていた。
なーんだ、そんなことか! 「それくらい大丈夫大丈夫!」 と言いかけたけれど、その言葉を飲み込むことにした。
(うーん、待てよ。でも、この子もつらいと思ってるから泣いているわけだしなぁ。)
そうして、時間をかけながら、彼に声をかけた。
「そうだよな。きれいに枠の中に書きたかったよなぁ」 と言いつつ、子供と机越しに対面する位置から、子供の向きに視点に合わせてみた。
すると、あることに気づいた。
彼が書いていた文字は、紙の端までピシッと一列に並んで、 端までいくと、2行目にずらして書くのではなく縦に一列にピシッと書き始めていたところだった。
そして他の表に目をむけると、 穴があいている場所がなく、 すべて左上の枠から埋めていて、 かつ表の中の文字はピシッと一列に並んでいた。
整然とした文字列を見たとき、一つの仮説が浮かんできました。
「もしかしてさぁ、算数好き?」
過去に出会った子供の中に「順番通りに書かなければ気が済まない」 「枠からはみ出たりすることを猛烈に嫌がる」という子どもたちがいた。
その子たちの中には、数字が好きだったり数学が得意な子どもたちがたくさんいたのだった。
すると 「え?うん。」 と不思議そうな顔をして答えてくれた。
横で心配そうに見守っていたお母さんが、 僕に追加で教えてくれた。
「実は、この子は習っていないときから掛け算をしたり数字に強烈な興味がある子なんです。」
なるほど。
それを受けて僕は”この場がおさまる言葉”ではなく、 彼に”かけてあげたい言葉”を話したくなった。
「君は多分、数学の才能を持ってる。 きれいに書きたいというそのこだわりは、 きっとその才能のしるしだから、持ち続けて大丈夫。 そうすれば、もしかしたら、今まで誰も解き明かすことができなかった謎を解き明かす数学者にだってなれるかもしれないよね。楽しみだね!」 と声をかけました。
その後、気持ちが落ち着いたのか、最後には「科学も好きだから、数学を使う科学者になろっかな。」と僕に言いにきてくれました。
そして、足を弾ませながらお母さんと手を繋いで去っていきました。
僕は彼とお母さんの後ろ姿がとっても心に残っています。
僕たちは、”教育”という分野ではあるけれど、本当にやりたいことを言葉にすると、 こどもが”その子らしく”いられる環境づくりであり、 おとなが”その人らしく”活躍できる社会づくりだ。
この少年と過ごした時間は一瞬だったけれど、 そんなことを改めて感じさせてくれた瞬間になった。
子どもと関わるようになって、自分の価値観が本当に目まぐるしく変化していくことに気づいた。
人生において本当に大切なことは、本やインターネットではなくて、 いつも子どもから教えてもらっている。そんな気がしています。