プロゲーマーになりたい!と子どもが言ったら今すぐ挑戦させた方がいい説!|まなびのヒント

 

 

今から10年ちょっと前、

僕は漫才師になりたかった。

 

名門私立中学・高校に入学した僕は、

圧倒的だったはずの勉強で全く太刀打ちできず、

すぐに学校に学校を辞めたくなった。

 

そんな時に僕を学校に繋ぎ止めたのはお笑いだった。

大阪は世界で唯一(だと思う)、面白いやつが一番偉い。

 

大阪のKIDSたちはきっと安倍首相よりも霜降り明星の方が偉いと思っている。(※もちろん個人差あります)

 

とにかく僕は授業中、神経を研ぎ澄ますようになった。

(なお理解は全然してませんでした)

 

それは、「どこで何を言えばみんなが笑ってくれるのか」ということにおいて。

笑いが取れた時はアドレナリンが出てたと思う。

 

自分が面白いことを言えた日は、そのことを何度も思い返し、ニヤニヤしながら眠った。

深夜番組も全て録画して、帰宅するやいなや研究する日々。

 

そして、ある日こんな考えが到来してしまうのであった。

「僕はもしかして日本で一番面白くなってしまったのかもしれない、、、」

 

そんな時、テレビで日本一面白い漫才師を決めるM-1グランプリが始まった。

そして同時に、クラスからこんな声が聞こえてきた。

 

「あいつ、1回戦受かったらしいで!」

 

視線の先には成績もいいO君とH君。

 

僕は思った。

 

「あいつらで1回戦突破できるんだったら、僕は優勝できるかもしれないな。」

 

まだ出てもいないのに、サインを考え、売れた時にどうやって謙虚を保つか考えていた。

 

予備戦として、文化祭で漫才をすることにした。

 

ウケた。とにかくウケた。

これはいける。

 

そして翌年予選を受けた。

確かなんばグランド花月だった気がする。

 

全然緊張はしなかった。

自信満々だったから。

 

売れていないプロも同じく1回戦から登場する。

僕は彼らを馬鹿にしていた。

 

「プロなのに1回戦からって、、、」

「この人この前テレビ出てめっちゃ滑ってたやん」

 

1回戦を受けていたのは2500組くらいだったと思う。

確か2回戦に上がるのは300組くらい?

 

舞台袖から次々と入れ替わる挑戦者を見ながら、

「勝った。次の組も勝った。」

と星取表をつけていっていた。

 

目算では余裕で一回戦クリア!!

 

僕たちの出番がきた。

 

「はいどーも!」と出ていき、早々に一つ目のボケを仕掛けた。

 

どやー!!!

 

シーン、、、

 

あれ??

 

聞こえてないんですかーー??

今面白いこと言いましたよ!?

 

ここは宇宙空間かなんかかな??

 

音響悪いの?

 

ちょっと携帯いじんなよ!

 

1回戦のネタ時間は2分。

 

風で言うと凪(なぎ)。

すなわち無風。

僕たちは透明人間だったに違いない。

僕たちは「無」と「宇宙」を感じた。

 

きっと宇宙が始まった時もこんな感じだったんだろう。

 

2分が経過したようだった。

僕らはひと笑いも取れなかった。

 

入れ替わりで次の出番だったプロの漫才師が登場した。

一言目で笑かしていた。

 

解釈するのに時間はいらない。

 

Frog in a well

 

井の中の蛙だった。

ただの思い上がりだったのだ。

 

プロはすごい。

声の出し方も全然違う。

ネタがわかりやすい。

 

それでいて自分のキャラクターを出しているし、

緩急や流れを意識してネタを作っている。

 

馬鹿にしていた売れないプロは、

何百段も上の階段にいるように思えた。

 

間もなく僕はお笑い芸人になるという夢を諦めた。

 

この話だけを聞くと、「夢を砕かれてかわいそうな話」になってしまうかもしれない。

 

違う。言いたいことはここからである。

 

僕はチャレンジにより、世界の広さを知った。

なんの道であれ、プロとして活躍している人に対してリスペクトを持てた。

 

今振り返って一番ぞっとする人生は、

 

「俺は挑戦したら絶対成功したのに!」

と思いながら時を過ごし、

 

「俺の方がすごいのに!」

と横目に見ながらチャレンジすることなく誰かを見下す人生である。

 

チャレンジすると、失敗がバレる。

自分の能力が露わにされてしまう。

 

だから安全地帯に逃げ込み、批判を繰り返す。

そんな人生である。

 

自分はできるという自信を持つことは大切。

そうすることでチャレンジする気持ちになれるから。

 

でも、チャレンジしないままに自信を持ち続けることは、

後悔と傲慢を生む。ややもすると誰かを恨むことになるかもしれない。

 

「僕プロゲーマーになる!」

そう子どもが言ったとき、

 

「おう、そうかそうか、こんな大会があるぞ!」

と勧めてみてはどうだろう。

 

もしそのチャレンジがうまくいかなくても大丈夫。

 

大きい建物のそばにある木は、枝が曲がっているものが多い。

光が当たらないから、当たる場所を探し、いろいろな方向に曲がり続けているのだ。

 

同じように、人間も光を求める本能を持っている。

 

気づけば僕は「楽しく学ぶ」を名目に、子どもたちを笑わせている。

芸人のようなカッコをし、舞台のような場所に立っている。

 

全国各地を回らせてもらって、先日は海外にも呼んでいただいた。

 

僕が今たっている場所は、なんばグランド花月ではない。

でも、どうやらそこから枝分かれした場所のようではある。

 

まっすぐに伸びる木もある。

でもそんな木は、セコイヤやスギ、背の高い遺伝子を持ったごく一部の木である。

 

確かに夢が潰えた時は悲しい。

その背中を見るのも辛いだろう。

 

それでも誰もが種を持って生まれてきている。

伸びようとする意志は必ずそこに宿っている。