19世紀の産業革命によって、学問の独占がさらに大きく崩れた。
書籍・雑誌・新聞は部数を増し、廉価になった。
機関車の発明は郵送や電送に情報の輸送にも道を開いた。
旅行も自由になり、人間の移動の自由、職業選択の自由、思想の自由なども実現された。
公教育は学問の支配階級による独占に終止符を告げたのである。
しかし、学校がなぜ必要か、という問いに対する答は必ずしも明白でなくなってきている。
学校は特定のものによる学問の独占を許さず、学問の自由を保証し、学習者の主体的な学習意欲を助長するものでなければならない、という理念の多くが失われている。
多くの学校は社会との接点をやがてなくしていき、それ自体が一人歩きしていき、いつのまにか学問を独占する存在になっていった。
学校以外での学習活動を認めず、どちらかというと制限するようになっていった。
皮肉なことである。
やがて学校の理念の中のもう一つの側面が肥大化していった。
それは「この世の中でちょうど必要なこれだけの知識が存在し、ちょうど必要なこれだけの知識、技能が存在する。それらを学校の6,3,3ヵ年に割り振る」という機械的な処理の問題になるのである。
また集団行動、協調性、和の精神先にありき、という集団教育である。
「個の自立、組織への貢献」という初期の学校の理念は失われた。
自由主義と民主主義というバランスが崩れ、ファシズムまがいの民主主義が尊ばれるようになった。
こうして伝統的な学校教育は初期の崇高な、それでいて学習者とその保護者にとって切実だった理念から次第に離れ、子どもたちの態度を受動的にし、子どもたちを機械的に集団化、協調性を第一とする空間に押し込めていった。
敢えてかなり誇張して書いたが、でもこれだけは冷静になって言える。
従来の教育の多くが、重力の中心が教師、教科書、学校にあるということである。
子どもたち自身の直接の学習本能、興味、関心と主体的な活動以外のところにあるということなのである。
「インターネット教育革命」(日野公三 著、PHP研究所刊 1999年)より