インターネット教育革命⑨「ジョン・ホルトの夢」

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「インターネット教育革命⑧「学校に行かずに成長する」


しかし1970年代になって伝統的なホームスクールに注目する人たちが出てきた。
Growing without Schooling誌を発行しているHoltアソシエーツの創業者であるジョン・ホルト氏はこの時期、ホームスクールの輝かしい未来を信じた数少ない人だった。
彼は行政当局から圧迫を加えられるホームスクーラーを支援する困難な立場を選んだのである。
彼は連帯を呼びかけた。
ホームスクールがアメリカ国民の当然得られるべき権利である、と主張してきた。
事例を集めた。そしてたくさんの書物を著した。

それらの書物は現在でもホームスクールを実践する家族にとって、またホームスクール界に身を置こうという人たちにとってバイブルであり続けている。
ジョン・ホルト氏が生きた時代、学校に行かない選択をする親にとって、自分が自宅で我が子を教育する権利を獲得するのは至難のわざだった。
周囲の冷たい視線にさらされる時代だった。
学校に連れ戻そうとする力との戦いの歴史だったのである。
彼は各地を訪問した。
ホームスクーラーを勇気付けて歩いたのである。

1979年にはホームスクーラーの親であるユタハン・ジョン・シンガーが逮捕され、銃殺されるというホームスクール業界で有名な痛ましい事件が起こっている。
現在のアメリカでは考えられないが、裁判で州の教育庁や教育委員会を訴えて親が負けるケースも相次いでいた。

Holtアソシエーツ社の社長ファレンガ氏もまた、ジョン・ホルト氏にひかれてこのホームスクール業界に身を置くことになった一人である。
彼はニューヨーク出身。
ボストンのある書店で勤務中に出会った客ホルト氏の影響を受け入社。
「君は何がしたいんだね」と問われ、教職に身をおきたいと言って自分の伝統的な「教え育てる」教育理論を述べたところ、「それは違う、子ども達の世界に入って、子ども達とともに学ぶことだね」という謎めいた言葉をかけられたそうである。

Growing without Schooling誌主催のボストン郊外で行うサマーキャンプは毎年500~700名参加している。
海外からも参加があるそうだ。
このマガジンは23年たって、インターネット上に数千人のメーリングリストが形成されている。

ホルト氏の夢、アメリカ中の親たちにホームスクールの権利を取り戻させ、子ども達に自分が自分で学ぶことの素晴らしさに目覚めさせる、という夢は今や素晴らしい後継者たちによって受け継がれ、花を咲かせている。
夕暮れのハーバード大学のキャンパスを歩き、街中のあちこちで学問を語り合う文教都市、ボストンを歩きながらそんな気持ちを抱いた。


「インターネット教育革命」(日野公三 著、PHP研究所刊 1999年)より

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