福澤諭吉の書物をひもとくとその内容が現代にも、あるいは現代にこそよく当てはまることに驚く。
『学問のすすめ』がときの明治政府によって禁書としてたたかれたわけがよくわかる。
政官両方から要注意人物として生涯マークされていたとも言われている。
彼は徹底して政府が教育に関与することの危険性を叫んでいる。
その一方で国民が独立した人格と見識を持つ私人であることを忘れ、愚民化することの危険性を叫ぶ。
諭吉の考えをあげてみる。
1.教育と政治の分離
政教分離は誰も知っている道理である。
政治が宗教に関与してはいけない。
同じく宗教が政治に関与してはいけない、というのは常識であるが、政治と教育がもともと分離されていた時代のほうが長いことに多くの人は気付いていない。
戦争になれば戦争の教育、平和になれば平和の教育、経済戦争になれば経済戦士の教育、それがおかしいと考える日本人が今も昔も少ない。
一人ひとりがいかに善く生きるか、という教育の理想に国家が土足でづかづかと入り込むのはけしからんと諭吉は説く。
2.学問を修めた人間の職分
明治7年、後年初代文部大臣となる森有礼と諭吉が大論争をする。
西洋で学んできた者同志が正面からぶつかった。
森は洋学を学んできた者、国家に仕え、国の行く末に大いに関わるべし、と言った。
対して諭吉は、
「政府は依然たる専制の政府」「人民は依然たる無気無力の愚民のみ」みんなが政府に頼ってすがって、屈辱的であることに気付かずにぺこぺこと頭を下げている。
外国で学んできた学者たちがもっともひどいと嘆く。
「この学者士君子、皆官(お上)あるを知って私あるを知らず」。
そして極めつけが、これである。
「青年の書生、わずかに数巻の書を読めば、すなわち官途に志し、有志の町人わずかに数百の元金あれば、すなわち官の名を仮りて商売を行わんとし、学校も官許なり、説教も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許」なんでも行政の許可がないとだめだという風潮になっていくことを嘆く。
彼は「日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり」と言う。
国民は「官を慕い、官を頼み、官を恐れ、官にへつらい、独立の丹心を発露するものなくして、その醜体見るに忍びざることなり」と強烈だ。
3.独立自尊
独立自尊とは、自らが自らを支配し、人に頼らざるをいう。
つまり、自分で考えて、自分で判断し、自分の責任において決定できる。自分で動ける。
そうやって一人ひとりが独立していなくて、本当の日本の独立はできない。
欧米列強に太刀打ちするようになるためには、国家に仕える奴隷型国民を大量につくるのではなく、一人ひとりが独立自尊でなければならない。
まさしく慧眼である。
そう彼は喝破した。
一身の独立なくして一国の独立なし、と言った意味はそこにある。
そのため官立の学校を彼はひどく憎んだ。
生涯を通して憎んだ。
国家が中央集権的に教育行政を取り仕切り、国家が設立運営する学校を主体として、私立の学校を私的な補完機能として認可する形態の危険性に警告を発し続けた。
教育にもっとも必要な独立自尊は、国家主導の体制の中でかき消されると言った。
(実際に、明治期を通して慶應義塾は政府からさまざまな迫害を受けて、学生が激減した時期が何度かある。)
最後に、教育者の役割を諭吉はどう考えたのだろう。
それは開智する人と位置付けたのである。
学ぶ側の特長を引き出すのだ。
「人を放ちて共に苦楽を与にする」のだというのである。
しかし明治政府の学校制度が整備されていく中で、日本の教育は
「人を束縛して独り心配を求める」方向に進んでいると警告を発した。
福澤諭吉の考えた理想はどっこい、21世紀型の学校モデルである。
私は諭吉の大きな背中を追いかけてきた。
追いかけても追いかけてもその大きな背中は遠いところにある。
しかし、近くにあると緊張が緩むとも思うから、決して諦めてはいない。