最も重要な問いは「どうやって伸ばすか」ではなく「何を伸ばすか」である|まなびのヒント

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僕は工作が苦手である。

小学校1年生の授業参観の時、紙コップとハンガーで車をつくる授業だった。
みんなすいすいと進めていく中、僕だけ全然進まなかった。

父親が見かねて代わりに全部やってくれた。

実はレゴを作るのも苦手である。

教室に置いてあるので、たまに子どもと一緒に遊ぶけれど、「どっちが作ったでしょう?」 と5歳くらいの子と僕の作ったものを選ばせたら、多分見分けがつかない。

僕は工作コンプレックスだ。

料理もできないし、裁縫なんて手の方が多く縫うだろう。

ついでにお絵かきも失笑ものである。

図工の通知表はいつも「がんばろう」だった。

ただ、そんな僕が、誰よりも熱中していたものがあった。
“漫画”である。

5歳の時、家の隣に定期的に大量のジャンプが捨てられるようになった。
それを拾って読んでいた。(間もなくちゃんと買い始めました。)
ドラゴンボールのような看板の漫画から、タルルートくん、ボンボン坂高校演劇部、そして読み切り漫画。さらに「ジャンプ放送局」という、読者参加型のラジオ番組のようなページの隅々まで読んでいた。

僕が”ウラン”という言葉を知ったのは、そのページのウラン235というハガキ職人がきっかけで、修学旅行で広島に行った時、「ウランって核エネルギーになる元素のことだったのか」と理解した。

その後、僕は姉が友達と交換して回し読みしていた、・りぼん ・なかよし ・チャオ ・マーガレット ・別冊マーガレット も読むようになった。

毎日漫画を読むので大忙し。

その後、東野圭吾、赤川次郎などの推理小説を経て、20歳ごろからはノンフィクションの本ばかり読むようになった。

創作の物語より事実に基づくものが好きで、自然科学や社会科学の本、科学史や美術史が好きである。毎日2時間読書にあてるようにしているし、休みの日は一日中読むこともある。

いつの間にか、本が大好きな人間になっていた。

さて、最近気になる出来事があった。

チャーリー(tanQの仲間)とカラオケに行った時のことである。

僕はミスチルのHEROという歌が好きで「この歌、歌詞めっちゃいいのよ〜!」 と言って紹介すると「いい歌だと思ったことあったけど、歌詞は全然知らなかったわぁ〜」 と言った。

続けてチャーリーは言った。

「モリソンは、歌詞から入る人なんだね。僕は曲とかリズムだわ〜」

え? あれ? 歌詞から入らない人なんているの?

いい歌を僕は文字で記憶している。
僕はたいてい歌詞から思い出す。 みんながそうだと思っていた。 (チャーリーは変わってるなぁ) と思ったと同時に、疑問がひとつ。
(あれ?まてよ?もしかして変わっているのは僕なのかもしれない) 気になって、たけおくん(tanQの仲間)とカレーを食べている時に聞いてみた。

「何か考える時って頭の中どんな感じになってるの?」 すると「この人にこれを言ったらどうなるかっていう絵が出てきます」

え?? 絵?? まじか、、、
僕は、何かを考える時に、絵や画像はほとんど出てこない。
ほぼ文字しか登場しない。
その代わりに頭の中に文字が次々と浮かんでくる。

「えーっと、今日やらなきゃいけないことって何だっけ?」
「あれとあれと、でもあっち先にやろうかな。」

ここで重大なことに改めて意識を向ける。

話す、書く、覚える、聞く、考える。
行動としては同じように見えていても、頭の中でおきていることは、人によって全く違う。

そして、僕はこの本を読み、その考えについてまた新しい発見をした。

『自閉症の脳を読み解くーどのように考え、どのように感じているのかー』( テンプル・グランディン著)※1

著者のテンプル・グランディンは、自身が自閉症スペクトラムである。

脳をfMRIや脳スキャンで調べると、自身の脳の特徴がわかった。

脳には脳室という場所が左右にある。
通常は左右同じくらいの長さであるが、その左側が異常に長くて、頭のてっぺん(頭頂葉)まで伸びている。
そして脳のさまざまな領域をつなぐ通り道(中でも下縦束という場所)が、視覚と関係する頭の後ろ側(後頭葉)まで伸びていた。

この画像から推測される、苦手なことと得意なことと、経験上の苦手と得意が、見事に一致した。
左側の脳室が伸びたせいで、計算などに使用する脳のワーキングメモリ(作業するための記憶)おしつぶされている。
よって計算などが苦手である。
単語を覚えることなども苦手だったという。

しかし、画像での記憶は細部まで瞬時に思い出すことができる。
建築の設計図は見事に再現できた。

そんな著者が、自身の経験や研究をもとに、 3つの思考パターンを新たに提唱している。

① 画像思考
② パターン思考
③ 言語・事実思考

①の画像思考の人は、 実践的な活動が好きな傾向がある。
全体図を想像してレゴを組み立てたりするのが得意。
お絵かきが得意 料理が得意 工作が得意 裁縫が得意 その代わりに、抽象度の高い代数が苦手だという。

②のパターン思考の人は、物事にパターンを見出す。
レゴも、部品をどう組み合わせるかということに関心があり、 数学や音楽が得意。 幾何も代数も得意。その代わり、本を読むことが苦手。

③の言語・事実思考の人は、文章を書いたりするのが得意。
話すことも得意かもしれない。その代わり、図工やレゴが苦手である。

たけおくんやチャーリーに話してみると、たけおくんは見事に①で、音楽を思い出す時は、どこで聞いたかというセットで思い出すという。
お芝居やミュージカルのこの場面でこの音楽が流れていたと、画像で思い出すらしい。

チャーリーは極端な②で、子どもの頃は一日中ミニ四駆をいじっていた。
TVチャンピオンのチャンピオンにも勝ったらしい。 そんなチャーリーは本を読むのが苦手である。

僕は③で、思考も何もかも言語で行う。
人名や歌詞や、漫画の名台詞などはとてもよく記憶している。
その昔辰吉丈一郎と世界戦を行った シリモンコン・ナコントン・パークビュー というタイ人のボクサーの名前を覚えているのは、ボクシング関係者以外には僕くらいじゃないだろうか。

もちろん人間がすっぱり3種類に分けられるわけないので、あくまで参考ではあるけれど、この分け方は僕はとてもしっくりきた。

僕は工作が嫌いだった。でも漫画が好きだった。
だから今こうして、ここにいる。

そして、ここに教育と脳に関係する、重大な前提が眠っている。

「人は、それぞれ与えられた脳が違う」

僕は自由な時間を与えられた時に、 自然と漫画を求めていた。
一人の時間はずーっと本を読んでいられる。
そして気づけばこうやって文章を書く機会が多くなっている。

よく考えれば親父は大変な読書家で文筆家志望だったし、祖父は演劇の台本を書いていた。

「人それぞれ」はきれいごとではない。

子どもと接する大人が研ぎ澄まさないといけないことは、この子の何を伸ばせるのか?である。

もちろん、それが英語・国語・算数・理科・社会の範囲に当てはまればわかりやすい。 しかし、そうもいかない。
僕の最も苦手な科目は、国語だった。 一方で夏休みの自由研究には「銀田一少年の事件簿」というノート一冊になる小説を書いていた。文章だけで提出したのは僕だけだったと記憶している。

その子の才能を見つけるのはとてもむずかしい。

プログラミング教育が義務化され、STE(A)M教育と叫ばれる中、それらを必要不可欠な能力と捉え、苦手であってもそれらを鍛える、ということも大切にすることも方法の一つではあると思う。

脳には可塑性といい、変化できる性質がある。
ただし、たとえそれらに向かなかったとしても、「自分には何の才能もない」とは感じさせてはいけない。
これは誰もが”特別な才能を持っている”ということを言っているのではない。
そう考えてしまうと、その時点で非凡なものでないと”伸ばすべきもの”ではないと考えてしまう。

しかし、少なくとも自分で磨くべき武器は必ず自分の中にあるのだ。

違う武器を持っている仲間同士でパーティーを組み、 お互いを認め合い、補い合い、未来に向かって突き進んでいく。

僕たち(tanQuest)がやりたいこと。
それは、何を伸ばすか?というのを一緒に考えることだ。

“これ”がだめでも”あれ”があるかもしれないし、 あのとき”あれ”がだめでも今”これ”はいけるかもしれない。

そんな試行錯誤の物語を共に編んでいきたい。

本人、保護者の方、僕たち。
もっとたくさんの人がつながって、「何を伸ばすか」 「何が伸びるか」 というのを一緒に見つけたい。
「どうやって伸ばすか?」という教育はたくさんあるが、「何を伸ばすか?」ということと向き合う教育は、実はあんまりないんじゃないかな。

とてもむずかしいチャレンジになりそうだ。

しかし、少しずつ進んでいる気はしている。
僕は起業5年目にして、やっと自分の役割がわかってきた気がしている。

違いを分かち合い、仲間と共に進んでいけることは、こんなにも幸せなことなのかと実感している。

これからも、僕は僕らしく、仲間は仲間らしくあり続けよう。

誰もが ”自分らしさ” という自分の武器を手に入れられるように。

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記事:モリソン
tanQuest(タンキュークエスト)
https://www.tanqfamily.com/


注釈
※1参考リンク
(テンプル・グランディンのTEDスピーチはこちらから)

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