「ありのままの自分で大丈夫」という自己肯定感をホームスクールで育んでほしい

ホームスクールインタビュー
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ホームスクールのインタビューシリーズ、「私がホームスクールを選ぶ理由」。今回は、中国地方に住む理奈さん(仮名)に話しを伺った。

不登校になったことをきっかけにASDと診断された

中国地方在住の司君(仮名)は、小学1年生の6月頃から不登校になった。母親の理奈さんは、

「入学してから何となく元気がなかったけど、突然学校に行かなくなり『外は地獄だ!2階から落ちて頭を打って死ぬ。僕死んでもいいの?』と言われて、とてもショックでした。」

と当時の辛い心境を語る。司君は不登校になったことをきっかけに発達クリニックを受診、そこでASDと診断された。

気になることがあったが、育てやすかった幼児期

2歳頃の司君は言語能力が高く、育てやすい子だと感じていた理奈さん。司君が3歳の時に双子の兄弟が生まれると、赤ちゃん返りで甘えるようになった司君を、理奈さんは双子の兄弟と同じ年齢だと思って育ててきたという。

司君3歳、双子4か月のころ

「今思うと、甘えていたのは保育園がしんどかったのかもしれません。」

と理奈さんは振り返る。

市の健診では発達の問題を指摘されなかった司君だが、保育園からは集団行動が遅れがちで、人に助けを求めるのが苦手な部分があると指摘を受けた。

司君3歳、双子9か月のころ


「心配だったので年長の時にWISCを受けました。結果に凸凹はあったけど全体的な数値は高かったので小学校では授業がつまらないかもしれない、本人に合わせた課題を見つけてあげた方がいいかもねと言われたんです。」

この時の司君は小学生になることを楽しみにしており、理奈さんは就学には問題はないと考えていた。

楽しみにしていたはずの学校生活が一転して不登校に

楽しみにしていた小学校生活は、宿題が始まると一転することになる。

「宿題をすごく嫌がって、毎日無理矢理やらせていました。癇癪が激しくなり、自分がやりたいことをやりたい瞬間にできないとすぐに怒り出し、暴れて親を叩くようになりました。あんなに勉強をしたいと言っていたのにどうしたらいいの?どうしちゃったの?と。これまでにそんなことはなかったのですごく戸惑いました。」

と理奈さんは言う。

川で魚を探す

そんな日々の末に、学校を少しづつ休むようになった司君を理奈さんはすぐには受け入れることができず、試行錯誤の日々を送る。

「車で学校まで連れて行って挨拶だけはしようと言ってみたり、通級の申し込みをして通級だけは行こうといろいろと働きかけをしました。ある時、先生に無理矢理引きずられるように教室に連れて行かれる姿を見て、これは学校に行くのは無理だと実感しました。そこまでして学校って行かなきゃ行けないのかなって。夫にも子どもの人権を無視しているのではと言われたんです。」

理奈さんは司君の様子や夫からの言葉を受け、思い悩んでいた。

悩む日々の中で「ホームスクール」という言葉との出会い

完全に不登校になってからは、家庭で勉強だけは遅れないように取り組みたいと考えた理奈さんだが、教科学習に対する司君の抵抗が激しく、司君は当初YouTubeをひたすら見る生活が続いていたという。

そんな生活を半年ほど送ると、動画から漢字を覚えたり、工作やゲームを楽しむ姿が見られるようになり、司君にあった学びの形があるのではないかという思いが理奈さんには生まれた。

魔法陣を作る中で漢字を書く
学校から借りたタブレットで、scratchJr



家庭の中で司君の学びを深めていくにはどうすればいいのか調べていく中で「ホームスクール」という言葉に出会った理奈さんは

「学校に行けない『不登校』という言葉ではなく『ホームスクール』と言う表現が前向きで素敵だと感じました。」

と、その印象を語る。
一方で学校への毎日の欠席連絡は理奈さんの大きな精神的負担で、同居する祖母の「困ったもんだね。早く治るといいけど。」と言う言葉も理奈さんを不安にさせた。

学校との連携、ホームスクールのコミュニティとのつながり

複雑な気持ちを抱えていた理奈さんだったが、司君の様子から結局はホームスクールの決断をせざるえなかったと言う。学校と話し合いの場を持ち、

「これまでの経緯をまとめ、文書として提出したことで、こちら側の思いがきちんと伝わったと思います。」

と話す理奈さんは学校とも協力関係を築くことができているという。

公園で虫探し



同時に理奈さんは情報を求めて不登校やホームスクールのコミュニティとつながっていく。

「不登校の支援団体だと学校に戻るための方法を教えてくれるんですが、うちの子に学校に戻る選択肢はないなって思ったんです。ホームスクール家庭の保護者会に参加したときは、家庭で学ぶことを肯定的に捉えている人が多くて、子どもにあった学び方っていろいろあるんだな、それでもいいんだなって思えたんです。支援協会の個別相談を利用して、アドバイスを頂いたことも大きな支えとなりました。」

と語る理奈さん。

現在2年生になった司君は、通学のストレスが減り、だいぶ落ち着きを取り戻したと言う。

「最近は少し変化もあったんです。YouTubeでパルクールの動画を見てから、飛び込み前転を熱心に練習しているんです。それも毎日本当に上達していくんですね。字を書いたりしなかったのに、技の名前をひらがな表を見ながら書いていて、自分の興味のあることを通して学んでいくタイプなのかなと思っています。いわゆる学校でする勉強をして欲しいと言う気持ちも正直ありますが、学ぶって何だろうとすごく考えるようになりました。」

そう語る理奈さんは、司君の能力を伸ばしていける可能性をホームスクールに感じている。

トランポリン教室の開放日での様子

「ありのままの自分で大丈夫」という自己肯定感を育んでほしい

一貫して司君に寄り添ってきた理奈さんの思いは自身の経験からきている。理奈さん自身も職場で上手くいかなかったことをきっかけに、ASDだと大人になってから診断を受けた。理奈さんは、

「私自身がいつも周りに合わせて生きてきました。それで心にダメージを受けていました。息子には自分の特性を理解して、疲れた時は休む、できないことは人や道具に頼って工夫して乗り切って欲しい、ありのままの自分で大丈夫だという自己肯定感を持って生きていって欲しいです。息子と過ごせる時間が増え、障害や学びについて深く学ぶ機会をもらえたことがありがたいです。」

と司君への思いを語る。

ホームスクールの課題と社会に訴えたいこと

理奈さんはホームスクールの課題について、

「親に全ての責任があるような気がして精神的負担があります。また、経済的な負担も大きいです。何にお金を優先するべきなのか、子どもに何が合うのかが分からなくて色々なことにチャレンジできないです。東京都のように月2万でも助成金があればオンラインのフリースクールを試せるのですが。」

と保護者の精神的、経済的負担を訴える。

グミづくりにも挑戦!

 理奈さんは、

「うちの子のように学校生活が合わなくてダメージを受けてしまう子がいるってことをもっと知って欲しいです。学校に行っていない子ではなく、家庭で学ぶ存在として認められる世の中になり、ホームスクールが当たり前の選択肢に日本でもなって欲しいです。」

と最後にその思いを語ってくれた。

「このインタビューに今だから応じることができたと思うんです。やっとそのままの子どもを受け止められるようになってきました。」

と語る理奈さん。司君に寄り添い続けた日々が今の理奈さんの礎になっている。司君の成長が楽しみだ。

取材・文:割田真優

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